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友美イチロウ

Author:友美イチロウ
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2008年ボブロス画法講師資格取得(風景)

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修羅場の友

仕事が忙しく、実家にも帰れなくなると無性に欲しくなる物があります。
ピスタチオ、カシューナッツ、そして大福。
普段特に好んで口にすることなど無いのですが、なぜか無性に食べたくなるこの3つ。
なんか栄養素かなんかが欠乏するんでしょうかね。

ふと食べていると、この食べ物はどうやって実になっているんだろうかと謎に思いまして調べてみました。

ピスタチオ
pis
アーモンドとかと似てますね。
こうやって木になって自然と割れたりした頃に収穫して、塩で煎ったりして食用になります。
このピスタチオの木、人の背丈程で実もたくさん取れそうです。

カシューナッツ
kasyuu-074.jpg
…これ、カシューナッツの実だそうです。始めて見ました。
実の中にできるんじゃないんですね。下の空豆みたいな殻の中に入っているそうです。
しかも一つの実に一つ。
ひょうたんみたいな大きな殻の中にみかんの実みたいにたくさん入ってるのかと思っていました。
↓以下で解説してありますが、その殻のついた実を取り出して云々。
http://www.vesta.dti.ne.jp/~sunnuts/kashuu.html
とても大変そうです。高くても納得できますね。

大福
春に花を咲かせた大福樹の根が3年経つうちに地中で成熟してくる根っこがそれ。
3年物の大福根の中には独特の甘みを持つ餡ができる。
収穫期に掘り出し、鱗片を取り除いた物が大福である。
うそ。
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仕事忙しいからいいんだけど

アク禁に巻き込まれてるのよね
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赤塚不二夫先生、おでかけですか?

赤塚不二夫先生が2日にお亡くなりになりました。


よく考えてみれば、現在30歳以下の人達は先生の作品を知ってはいても、その活躍をあまりテレビで見たことがないのではないのかな?と思いました。

手塚先生や石ノ森先生、その他の漫画家がテレビにもよく出ていた時代、その中でも赤塚先生だけはタイプが違いました。
芸人を食う程の行動力、放送コードでくくれない表現の数々。テレビ局もおもしろがって一緒に組んでたくさんの番組を作ったりしていました。
極端に表現するならば、もうテロの部類です。

セーラー服を着てストリップをしたり、タモリを連れて番組ジャックをしたりと面白いことを思いついたら即行動と言った風で大活躍だったのです。(参考文献:赤塚不二夫漫画大全集263巻収録「ボクとタモリ」)
ちなみにタモリはそのエピソードの中でリイド社の「コミック野郎」で漫画連載してたりします。


さて、そんなはちゃめちゃな赤塚作品と僕との出会いはもちろんテレビアニメですが、漫画少年だった小学校時代に図書館で見つけたぼろぼろの「漫画の描き方」(正確な書名は忘れましたが)が一番心を射貫かれた物でした。
まだ小学校低学年だった僕にカルチャーショックを与えたその内容は「如何に記号化して特徴を出すか」というようなものでした。
赤塚先生の作品に出てくるキャラクター達はみんなおかしな見た目ですが、その元は空想でも何でもなく特徴のある人物をどんどん簡単に記号化していった末のキャラクターデザインだということです。
デフォルメというヤツですね。
記事を書きながら手持ちの「赤塚不二夫漫画大全集DVD-ROM」をあさっていますが、これは収録されてないのかな?
見つからなかったので詳しくは書けないのですが、他の先生方の「漫画の描き方」本が技術的なものや道具の使い方や漫画のルールというものをメインに書かれているのに対して、先生の作家としての飛躍を惜しまず描いたその本で幼いながら目からうろこが落ちたのを覚えています。

「美味しんぼ」3巻(文庫2巻)に収録されている「和菓子の創意」というエピソードの中で唐山陶人のこんな台詞があります。
「味の世界も芸術の世界も変わりはない、新しい美の発見、新しい味の発見、それをなしとげた者のみが認められるんじゃ。」
とあるとおり、「学術芸術上の発明改良創作に関し事績著明なる者」に授与される紫綬褒章を赤塚先生が授与されたのも頷ける理由です。

有名な逸話ですが、赤塚先生は初期の頃、少女漫画を描いていました。1960年代に入り「おそ松くん」の前あたりから今よく知られているキャラクターデザインが主流となり続々とヒットを飛ばすようになります。
ピカソもそうであったように誰もが描く絵からキュビスムに至り名を馳せたようにそのデフォルメや表現は「一種の発明」であったわけです。


今の漫画業界ではデフォルメされたキャラクター作品というものは少なくなってきました。一時期は4コマ漫画でさえ、等身の高い物でなければ採用されなかったりと時代はデフォルメした作品をあまり必要としなくなっているのかも知れません。
古谷三敏先生(代表作「BARレモンハート」)、高井研一郎先生(代表作「総務部総務課山口六平太」)、北見けんいち先生(代表作「釣りバカ日誌」)もフジオ・プロダクション出身の漫画家ですが、代表作をみてわかるとおりキャラクターはデフォルメされたものです。
僕も「みーたん」を始めてキャラクター達をどんどんデフォルメ化(他にデフォルメして描ける作品が無かったため)するようになりました。特に「みーたん」は内容もトゲトゲしいのでリアルに描きすぎると笑えない作品になってしまいます。記号化やデフォルメで面白おかしく包まないと見せられるものではありません。これも幼い時に読んだ赤塚先生の「漫画の描き方」の本が生きているからです。


もしかすると今の時代はデフォルメされた作品を強く求めていないのかも知れませんが、古谷先生、高井先生、北見先生の作品のように雑誌に一つでもそんなあたたかみのある作品があると落ち着くものです。
たまに「みーたん」を見た人達から、なんで本当は上手く描けるのに手を抜いたような絵を描くんだと言われることがあります。しかし、決して絵が上手いだけで物事が伝えられる物ではありませんし、「みーたん」を連載するウチにむしろ少なくなってしまっているそのジャンルに踏み込みたいと考えるようになってきました。
僕もいつか上手いと言われる絵ではないけど、特徴的で暖かい、そんな作品が描ければいいなと思っています。
えぇ、決してうまく描くのが面倒とか、時間がかかるとかそういう理由ではありません。決してありません。

(ちなみに、北見けんいち・著「新宿まんが村」で色々な赤塚先生のエピソードが読めたりします。1巻以降続刊がないのが寂しいですが、有名な赤塚不二夫になっていくきっかけが画かれていたりして非常に面白い本です。)


今日はライブ・イン・ハトヤでも聞きながら仕事をしようと思います。


赤塚先生、天国へおでかけですか?
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みーたん1巻発売(台湾版)

さて、前回の記事の余波も少なくなったようなので、
いつもの記事に戻ることにしましょうか。

祝!1巻発売!



とは言う物の台湾版です。
「あっちからみーたんの依頼発行が来てますから出しますよいいスね?」
と聞いたときはこの本かなりアングラな部類に入るのに
アッチの人は理解できるんかい?と返したのですが、
出したいって言ってるから大丈夫なんだろうとオッケーして数ヶ月。
届きました。

日本版と大きく違うのは偽オビの内容ですかね。
日本版は表紙絵作家の名前とかが書かれていましたが、えー…
「驚き!自殺しようとしたら貧乳少女が現れた!」みたいな感じでしょうか。
あっちでも貧乳って通じるんだ…。
また一つおりこうになりましたね。

タイトルの方は「塙怪妹妹」となっています。
昔大学で不可を受けた(出席日数足らず)曖昧な中国語学とネット翻訳によると、
「おかしな子ちゃん」
みたいな感じでしょうか?
決して邦題の「みーたん」と同一ではありません。
わかる方がおられましたらブログ拍手から教えていただけると幸いです。

080706-2.jpg

本文を見ていただくとわかる通り、「みーたん」は「蜜糖」です。
当て字ですね。ベリースイーツです。
画像でもわかるとおり、次号へ続くとか、柱の単行本紹介とかは日本のまんまです。
カバーを取った表紙も日本と同じです。ミキマキ先生がカタカナのまんまだからわかります。
「なんだよ、あっちでもカタカナ程度は通じるからそのままなんだよ。」
とおっしゃる方もおられるかも知れませんが、作者名も全漢字ということで察していただきたい。

あぁ、そういや本文内の作者紹介で「18禁エロ同人誌」とかは「18禁的常色同人誌」ってなってました。
世界に何配信してんだ。
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原稿を無くすとどうなるか?

「原稿がなくなりました」
13年程この仕事をしていますが、僕自身は今までそういう問題が起きたことはありません。
実を言うと一回くらい起きて欲しいなというくらいです。

その昔、ある編集さんがある編集部に赴いたときに足下に手塚大先生の原稿が散らばっていたと言うことがあったそうです。
そんなぞんざいな時代もあったんですね。いや、ぞんざいな出版社もあったというべきでしょうか。
今では手塚先生はお亡くなりになってしまったわけですが、その原稿の芸術的価値という物は測り知れません。
人気作品のカラー本物原稿となればファンがいくら出してでも欲しい物なのでしょう。
生原稿という物に価値をつける場合その作家、人気度、時代で価値はいくらでも変わってきます。

しかし、私達が出版社とお仕事をするとき、その原稿料はある意味「掲載料」というものに再換算され皆さんが普段よく聞く原稿料となります。
人気があるとその原稿は単行本となり、発行部数による印税の一部を構成するようになります。
実は原稿料という物は作家作家で違い、作家個人の申告により決定されます。(週間連載になった途端一定金額まで自動的にアップされる場合もあります。)
ここは駆け引きが必要で、新人にも関わらず稿料を高値にすると仕事が無くなります。
人気のある作家が人気のある時期に高値にしたとしても、人気連載が終わり人気の無くなったあたりにその稿料のままだと出版社はその作家を使いにくくなります。
その上、一度稿料を上げると下げにくいという現実もあります、


さて、通常ならあり得ない話ですが、編集部が”預かっている作家の原稿”を無くしたという事象が発生した場合、作家は損害賠償を出版社に請求することができます。
前述したとおり、作家は掲載してもらっているわけですが、決して原稿を出版社に売り渡したわけではありません。
厳密に言えば、掲載する場合に至っての掲載料として、稿料を支払ってもらっているに過ぎません。
原稿は作家本人の申し出により返却が行わなければならない決まりです。
その証拠に、みなさんもご存じかも知れませんが、A出版社から出た単行本が装幀を替えてB出版社から発行された物を見ることがあるでしょう。
それは出版契約期間の終わった原稿を作家が別出版社へ打診、もしくは発行依頼があった結果です。
原稿は単行本になる際に契約書が送られてきますが、発行してから3〜5年はその出版社との契約が取り決められることがほとんどです。
人気の無い出版物に置いては契約が続行されているにも関わらず絶版という状態になっている作品も多いのが現状です。
その後は基本的に何も問題がない場合、契約は自動更新される場合が通常のようです。
実際、連載開始時では契約書が交わされることはほとんどないと言って良いでしょう。かなりアバウトなように聞こえますが、それが現時点での日本の出版物に関する現状です。
弱小出版社においては単行本発行の際においても、出版契約書すら交わされない場合も多くあります。
まだ(良心的な)(弱小)出版社であれば(出版、再版等の)打診があり再版の運びとなりますが、ところによると出版契約書を交わしていないにも関わらず、何も言わずに勝手に増版してしまったりして、場合によっては問題を起こしたりします。

そんな価値のある漫画原稿ですが、生原稿でも僕の原稿と手塚先生の原稿では天と地の差があります。言わずもがなですが。
それに原稿の価値を決める素材として小説なのか、絵なのかでまた変わってきます。
例えば文豪と言われた人の生原稿に値段がつくこともありますね。
人気作家の生原稿には価値がつきますが、それはファンがつける「マニア価格」で、商業的には活字となって初めて価値がつく物だと思います。
例えば、生原稿がそのまま印刷されても読みにくいだけですね。テキストで入稿されたCD-Rに価値がつくかと言えばちょっと難しいでしょう。

さぁ、そんな漫画原稿。仮に出版社が生原稿を紛失し著作者がその損害賠償を訴え出た場合、裁判でその生原稿に価値がつけられるとすればいかほどのものでしょうか。
考えられる価値としては
1,出版社、発行誌に掲載という形として発行物に掲載される際の価値
2,ファンがつけるオークション的な価格としての価値(時価ではある)
3,出版物として発行した場合に対してつく商業的価値(後術)
の3つに別れると思われます。

1に関しては、通常「原稿料」と言われる物になります。
2は、その原稿が一般に出回った場合につく付加価値です。(オークション等)
3は、仮にその原稿が掲載された事による発行物が生み出した価値から換算したページあたりの単価から計算されるだろう原稿の価値です。(例:その原稿が使用された発行物、印刷発行物の部数、印税率、または以後発行された場合の予想できる発行部数から計算されるページあたりの価値、または映像化等による際の参考資料としての価値)(※後述により同一出版社の場合意味をなさない場合もある)


例外ですが、中には本宮ひろ志先生のように「価値を認めてくれるファンが持っていてくれた方が良い」という見地から雑誌上で”生原稿”をプレゼントする作家の例もあります。
なぜ、このような太っ腹なことができるかというと、単行本等にする際、出版社は原稿を撮影して印刷用の版を作ります。コイツを作ればその版が無くならない限り、原稿が無くともバンバン印刷できるわけです。とはいえ、本宮先生のような事ができる人は業界広しといえどもほとんどいません。例外です。本当に例外です。


さて、上記で散々述べてきましたが、一般的に漫画原稿といわれるものは
「使い回しがきき、(前出版社において稿料を支払われたとしても)利益をさらに生み出す可能性がある物であり、芸術的観点(人気度、芸術観点からの評価による)からもその完成原稿は一定の価値がある」ものです。

仮にピカソが存命の際、原画を預かり出版物を発行した出版社がその原画を紛失したとしたらどうでしょう?
この場合は本人が訴え出た時点での価値で換算され損害賠償が支払われる結果になる可能性が大です。(その後、その人物が亡くなり存命時より価値が上がったとしても、その時点での価値で支払われる事になると思います。)
現在においてもその時の価値に従って損害賠償を払えばその場では終わるでしょうが、問題はそういうことではありません。作家からすると同じ本人が描いても同じ作品はできあがりません。発行物に掲載された物であればなおさら、掲載された物と全く同じ物はありません。

人気作品になると、その原稿は色んな所に使い回されます。そうこうしているうちに管理している人が誰かわからなくなり、行方がわからなくなってしまう。そんなこともあるようです。全ての原稿を扱う人が、とは言いませんが、出版社は原稿を日常扱っているが故にその価値に対して非常に疎いのが現状です。立場の弱い作家なら紛失されてもその価値を訴え出ることなど許されません。
実は出版社にも同じように発行物という著作物があります。
たとえば、「週刊○○」のように毎週発行される漫画雑誌。もしくはそれ相当の発行物です。これは発行された時点で、国会図書館、出版社、読者、それを扱う古書店に大まかではありますが、出回る形になります。

さて、仮に、ですが、出版社が保存している最後の一冊が何かで紛失”された”場合、出版社としてはやはり自社の発行物であり、歴史でもあるわけですから取り戻し、取りそろえたいのが当然ですね。前述のように国会図書館にもありますが、全ページコピーを取ってハイおしまいでありません。それが発行1号などであればなおさらです。
その場合、「印刷版のマスター」はないのが当然ですから、やはり発行物を揃えたいですね。もしもそれが後年人気雑誌となった創刊号だった場合、世に出回った販売価格では手に入らないのが現状です。発行物が多ければ多い程、その価値は薄くなり、買い戻すにしてもある程度楽なわけですが、これが「たった一冊しか現存しない」物だった場合、その価値はいかほどでしょうか?
その上、仮に、ですが「たった一冊しかないその原本を誰かに貸して、それを紛失した場合」どんな価値を生み出すでしょうか?肉筆も、印刷物もその原本のみの場合である限りその価値はいかなる物でしょう?それを「紛失するのがこの業界の当然」、「無くしたけど許してネ♡」など、もしもそんなことを借り手が口走ったら、それは僕でなくとも世論が十分に判断するのでしょう。

原稿を紛失した場合、それを預かった立場から言う言葉は簡単です。
心を込めた謝罪。それが人としての当然の行動だからです。場合によってはそれが解決となった場合もあります。普段から”それ”がなされていない場合、トラブルに陥るのだと思います。きちんと価値をわかっている場合、損害賠償にも納得の代金を支払う用意があるはずです。



ちなみに僕は全部デジタル入稿なので、原稿を無くされても全然大丈夫ですが、以前、光回線が通っていない時期にCD-Rで入稿していた事があります。
原稿が戻ってきたときに「いや、別にデータはいいですよ」と言ったにも関わらず
CD-Rまできっちり戻ってきました。

まともな編集というのはこういう者です。
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